小野光太郎とは

モノづくり経営者としての厳しい目

ドイツ的モノづくりの工場経営者を自負していた小野光太郎氏 − 若い頃から社長を経験してきた日本マイヤー、ワシマイヤー、日本BBS、アサヒ、寿(ワシ中越ボード)等はすべてメーカーであった。
更生法を申請されたその直前まで、ホイールの特許申請細部の記述の為、工場の開発部門へのデータ取りの指示、結果の検証、強度計算等に忙殺され、併せて弁理士との打ち合わせを行って来年以降に発売予定の超軽量新製品の特許申請と開発に取り組んでいた。
特許申請書の原稿にはテニオハまで筆を入れていたという事実が小野光太郎氏らしいところだが、モノづくりに関する繊細な目は広告一つ一つにさえ厳しくチェックを入れていた。
「月刊文芸春秋」をはじめ毎月6〜7誌に営業広告を掲載していたが、そのいずれにも毎月自ら筆を取り独特の商品紹介をしていた。広告に数字や技術理論が多すぎる、との批判に対しても「他のメーカーは語るべき製品の技術的メリットがないからだ」と、自分の広告ポリシーを変えなかった。
広告代理店にしても在京大手の介在を許さず、県内の代理店「福井新聞PRセンター」を使い続け、文春初め一流月刊誌への直接代理店としたほど。
ここまで細部にこだわりながらもそれ以外は日夜文化関係の社外活動で多忙な目々を送るという小野光太郎氏のスタイルは、世界で最も理論的と言われるドイツ人と情緒的な北陸、特に福井の県民性との間にあってまさに稀有な存在であった。

グループ会社からの給料、報酬はゼロ

「はじめ建前、あと浪速節…」
「ドイツ的に論理的建前がしっかりしていないと経営者の考えが浸透しない。しかしながら所詮事業は人間同士が協力してやること」
「会社が儲かれば社員の待遇に反映する」
小野光太郎氏の経営哲学は和洋の特長を把握したものであり、トップ、役員だけがしこたま儲けるという会社が溢れ返る中、社員に対する考え方も違う。
社員の基準内賃金、基準外賃金、年間休日などいずれも他社平均を大きく上回っていて、例えばホイール事業を立ち上げたY副社長への給料以外の賞与、退職金の総額は4億円にも及んでいたということは半ば公知の事実でもあった。
社員旅行なども大半が会社負担で、ハワイ、台湾、沖縄などへ − というのだから凄い。
その一方で、小野光太郎氏は永年日本マイヤーからの報酬は自ら辞退し、平成21年以降ワシマイヤーからも給料、報酬は全く得ていない。
少しでも内部留保を多くして技術を開発し、BBSの商標に頼らぬ世界最軽量ホイール量産の体質を備え、将来の炭素繊維製ホイールとの競合に備えるためと本人は言っていたが、アサヒオプチカルからの給料、報酬が創立以来ゼロであった理由も多分同じようなことだったのだろう。
ということで小野家の収入は主として時価数十億円に上る上場株、投資信託の配当、利益分配金、県外の不動産賃貸収入などであったが、それらすべては今回の件の経営責任として、自宅、2千点近くの美術品とともにすべて私財提供している。
「今は黙して語らず」と何一つ言い訳はしない小野光太郎氏だが、自らの経営責任は粛々と果たしている。

山田勝三氏とは「会ったこともない」

あれから1年経つが、政財界をはじめ、地元で小野光太郎氏のことを悪く言う人間はまずいない。
それどころか、これまでの恩義を感じている人間や昔から助け合った友人、それに親戚らすべてが、「いつでも物心で役に立つことがあれば―」と言っているほど。
小野光太郎氏を悪くいう人間はむしろ以前から妬んだり、同氏を利用して世に出たり、経済的に世話になった関係者に「忘恩の徒」が多いようだ。
つい最近亡くなった山田勝三氏との関係にまで風評が飛ぶが、この件に関しては小野光太郎氏に近い友人を通して、「山田氏が小野グループヘの保証のため大打撃を受けているとの風評ですが、そのようなことが何かあったのですか?」と、電話で訊いて貰ったところ、「会ったことも話したこともない」と、本人も驚きを隠さなかったという。
これなどが小野光太郎氏に関するネガティブ風評の典型であり無責任で民度の低い階層が格好の話題にしているようだ。小野光太郎氏は、「これも自分の不徳の致すところ」と言っていたという。
冒頭に記した様に本誌は無責任なインターネット等、負の部分のみを喧伝した不確かな情報に対し、小野光太郎氏をはじめグループ役職員、そしてその周辺のすべての関係者の名誉を回復する意味で誤った情報の是正と公平性を訴える特集を行ったものである。
福井県の文化レベルを上げることを生涯の使命として、それを地で行った小野光太郎氏の福井での45年間の人生…
その赫々たる功績は揺るぎなく、今回の件で霞んでしまうものでは決してない。

以上