小野光太郎とは

小野 光太郎氏 全面免責、粉飾に関与なし


インターネットをはじめ、メディアで種々報道された小野グループ小野光太郎代表に対し、東京地方裁判所は本年3月27日免責決定を行い、4月9日付けの官報でこの旨公示されました。

小生は同氏の率いる企業の大番頭として45年間最も近く接した者であり、予てより小野氏が当時から申されて居られました;

“今は黙する時、真実は今に分かる。”

の言葉を信じ、周囲にも紹介して居りましたが、今般これが管財人、裁判所、小野氏の弁護士団の間での詳細質疑の結果、上記免責決定となりました事は小生の考えの正しさを証明したものとして紹介させて頂きたいと筆をとらせて頂きました。

当時のメディア、特にインターネットへは小野氏とは面識も無く、名前も知らぬ言わば同氏とは秘書を通しても会う事も出来なかったレベルの人達の野次馬的無責任極まる投稿であり、特に恰も小野氏が決算書に粉飾を行った如く報じた点に対しましては裁判所は免責決定文に於きまして免責の理由としまして同氏の不関与を述べて居られます。

小生は小野氏が社長であった時に経理部長、財務担当役員でありましたが、部下の原価計算、引当金計算、記帳ミス等で約25年間に20回以上小野社長から減俸処分を受け、社内掲示板に大きく公示されましたが、ことほど左様に経理には厳格な経営者でありました。

未だに伝説的に語られる小野氏が現役社長・会長時代の帝国データーバンク調査書での94点の評価(ダイヤモンド誌公表、非上場全国第2位)は今日にいたりましても全北陸企業の歴史的最高点記録であり、誇り高い経営者としての小野氏のキャリアであり、小生もナンバー2及び後継者として生涯の忘れ得ぬ快挙でありました。(因みに上場企業であっても同バンク点数80点以上は今でも容易では有りません。)

裁判所の決定文は小野氏の責任として;

   特定の金融機関に対する不平等な担保提供。
     他の役員に対する相互監視義務怠慢。

が指摘されて居りますが、これに対して小野氏は“不徳の致す処”と反省をされ数十億円の個人預金、有価証券、多数の名品を含む美術品約1,800点を私財拠出されました。

内助の功の評判高い夫人の慶子氏は会社の非常勤役員としての道義的責任上その個人預金より2億円弱を拠出されました。

小野氏は80歳を超え、父君のふる里に近い熱海市に居住されて居られますが、極めて元気で最近も5月の米国出張に引き続き、独カールマイヤーを初め、旧グループ関係取引先や、英皇室、ロンドン交響楽団等文化関係の招待に応じられて約一ヶ月に及ぶ欧州訪問をされました。

一方、小野氏は福井に34歳から46年間を過ごした故郷の想いを持って居り、奥行きの深い多くの経済、文化関係の友人、知己は永年の小野氏の福井史上に残る地元貢献を忘れず、近時熱海への訪問、福井への招待等同氏のアドバイスを求める人達が多い。

早いものであれから2年半強を経ましたが、小野氏の福井史に残り続ける貢献を忘れるべきではなく、即ち:

    全国的に最も早く福井の製造業を国際化(1968年)された事。
    経営した企業が権威ある機関より上記全国第2位の経営評価を受けた事。

京都と金沢の峡間の谷と言われた福井県の文化振興への物心両面の情熱。即ち;

県文化振興事業団に対する6億円の私財提供。県立音楽堂ハーモニーホールふくい建設に6年前からの県基本構想策定委員長としての物心両面の努力。(ウィキペディアに拠れば; ハーモニーホールふくいは世界11のコンサートホールの一つに選ばれて居ります。日本には他に有りません)

歴史に残る開館記念コンサートをウイーンフィルハーモニー交響楽団フルメンバーで行われた事(小生はこれを実現する為、小野氏が訪問したり、在日関係者数人を有名な東京吉兆本店に自費招待し根回しした事を記憶して居ります。) 

又、例えば同ホールメイン入口ロビーに飾られている

     R.デュフィの80号の油彩画;
     “大オーケストラのエチュード”
も開館1年前に小野氏が欧米の有名画商に依頼して、クラッシック音楽演奏画の世界最高の名手として評価を受けて居る画家の稀有の大作を高額で入手し、個人的に寄贈されたものです。我が国コンサートホールで此処まで配慮されているホールは他に有りません。

同氏所有の数億円と言われるバイオリンの名器“ストラデバリ”を戸田弥生氏に無償で5年間貸与され、その後音楽堂に寄託して居られた事。小松長生氏の報酬の相当部分を負担しつつ自ら理事を務められました東京フィルハーモニー交響楽団の正指揮者に任じられた事。N響理事として難関と言われる同楽団との共演を本県出身ピアニストと行われるべく努力をされ、実現された事等々枚挙にいとまが有りません。

小野氏は音楽の他、周知の小野コレクションで知られています様に、絵画、陶磁器、古美術全般に亘り造詣が深く、知事より福井県文化顧問を委嘱されて居られましたが、県立美術館、県立陶芸館には夫々館長が在任して居られたので、文化振興事業団としては音楽に特に力を入れて居られました。最近同氏との話の中で、同事業団理事長に永年の畏友川田セーレン会長が就任して居られる事を大変喜んで居られました。

小生も小野氏の招きにより、来福以来、人生の大部分と言える50年近くを過ごさせて頂き、多くの良き知己、友人を得る事が出来ました。


この1〜2年旧小野グループ出身者の再就職先経営者や人事の責任者の方々が異口同音に“◦◦◦礼儀正しく、労働モラルが高い”と言って居られるのを聞き、当時の経営や社風を知る者として心から喜んで居ります。

此れまで2回に亘り小野氏の近居を皆さんに紹介して参りました。同氏の“今は黙する時、真実は今に分かる”との言葉が全面的免責により証明されましたので今回を以って報告を終了させて頂く事と致します。拙文御愛読有難う御座いました。

平成27年晩夏。