小野光太郎とは

「小野グループ・小野光太郎氏」の近況

小生は永年小野光太郎氏の番頭格として同氏から地元の日本マイヤー(株)、(株)アサヒオプティカル各社の社長を引き継いだ経緯があり、小野氏を最もよく知る者の一人であります。現在も友人として親しくご交誼を頂いて居ります。最近多くの地元の方々から小野氏について質問されたり、側聞致しますので同氏の近況と小生の見解を皆さんにお伝えします。

皆さんも感じて居られると思いますが、公平且つ真実の話として小野氏を直接知っている人で個人的に同氏を悪く言う人は今も福井で先ず居ません。

例外的な人はインターネット等での無責任な同氏への中傷や誹謗を無記名で行った人々と同氏とは今迄会った事が無かった人達、経済取引、文化事業関係等で同氏と直接話をする立場「レベル」に無かった人達がそれを見て単純に記事を信じ込んだ様です。

先ず御知らせすべきは、小野光太郎氏に対する管財人からの損害賠償請求申立ては裁判に至らずに昨年11月に終了していた事が判明致しました。

昨年11月に東京地裁が会社の更生手続き開始決定をし、メディアは大きく報じましたが、一方此れに対する管財人から小野氏への損害賠償申立てが裁判に至らずに法的に終了したことは報じられて居りません。

小野氏には正式にこの旨を文書で通知されて居りますが、例によって小野氏からは極めて限られた人に漏らされたのみで、沈黙を守って居られます。“真実は必ず解るときはわかる“。との小野氏の信念である性善説のせいでしょうか。

此れは同氏が小野グループ会社の経営責任を重く且つ深く感じ、同氏の莫大な現金、預金、株式、投資信託及びルノアール、モジリアーニ等名画や歴代の楽茶碗のみで40点前後、利休茶杓等約1,800点もの美術品を私財提供とされ、慶子夫人も監査役の責任をとって数億円の預金を拠出された事も大きな要因となって居ります。

当時喧伝され、無責任なインターネット投書に書かれた粉飾に就いて、当初から小野氏は銀行に提出されていたと言う粉飾決算書など見た事もないとだけは明言していましたが、他は “今は沈黙を守る時” と口を閉ざし、先ずは経営責任を粛々と果たして居られました。

あの無責任な興味本位の数々の愚民無記名インターネットの投書を信じ込んだ風潮に本人は“相手にする気にもなれない、真実は今に解る”とのみ申して居られました。

その事実は弁護士、公認会計士の10人からなる大調査チームが小野グループの帳簿等書類を精査した結果、粉飾等に小野氏の関与は認められず、此れも損害賠償申立請求が裁判に至らずに早期に終了した理由でもあったことを知らされました。

以前にも報ぜられました如く、あの誇り高い小野氏が粉飾決算書を手に銀行借り入れ交渉をする事は、40年余り同氏の番頭格として最も身近にいた一人として全く考えられぬ事です。小生は経理部長、コントローラー、取締役時代部下の経理処理、計数ミスで小野社長から20回以上減給処分を受け、会社の掲示板に公告された事が有り、当時の社員には公知ですが、現役社長時代を通じて事程左様に経理、財務には厳しい経営方針の方でした。

最近小野氏は永年に亘る福井での地元貢献と今回の真の経緯を知る財、政界、友人に囲まれ、“御迷惑を掛け、不徳の至り...”、との立場を踏まえつつも、請われて相談や助言をする事も多い様です。

全国的に有名な数々の地元貢献を企業利益で可能にした同氏の卓抜した事業経営能力に就いて、小生の手許にある昔の週刊ダイヤモンド誌(三大経済誌の一つ)は権威ある帝国データーバンクと協力して当時の同データーバンク興信所の調査書記載評価点数とランキングを掲載して居ります。それによると;

小野氏が現役社長専任時代ワシマイヤー(株)は権威ある帝国データーバンク調査報告書の評価点で100万社に及ぶ全非上場会社の中で第2位の94点、日本マイヤー(株)は小生が副社長および社長職を引き継いだ時期を通じて16位の76点を獲得した実績が掲載されて居ります。

何れも小生が小野社長の謦咳に接し、深く関与してきた企業成績として、又、後継社長及び経理専門家としてこの様な実績を残せた事は生涯の誇りですとして居るものです。

現在でも同一基準での許で上場会社でも75点以上を取れるのは全体の15%に満たないと言われます。福井県は勿論北陸で現在迄に同データーバンクが94点と評価した企業は皆無です。

小野氏は経営者として、また文化、語学、中央政官財界、外国要人との深い関係等極めて懐の深い存在でしたが、それを外部に誇示する言動は常に自制して居られました。然し乍らその人脈は驚くべきもので、現在も脈々と続いています。

最近知った事ですが3回以上大臣を経験された大物政治家が昨年来小野氏に“これからは私共がご恩返しをする番です...“と大相撲東京場所毎に毎場所正面ローヤルボックス(天皇陛下が観戦される場所)真隣りの一列目に小野ご夫妻を必ず招待し、時には終了後最も著名な相撲料理屋に招待し、その大物政治家が自分の箸のみで初めから、雑炊造りに至るまで自ら総て鍋奉行をして、小野氏とは何者?と周囲を驚かしています。

小野氏は“著名な政治家とは信義に篤いからこそ今日が有る事を知った...“と最近申して居られましたが同政治家は人望篤く森元総理、麻生元総理、財務大臣、金融担当大臣、亀井元金融担当大臣等と親しく、共に且つて福井の小野邸でのパーティに参加された事がありました。

昨年小野氏は英国皇室からのKBE(サーの称号〉を授賞されましたが亀井氏より玄関に収まり切れない大きな蘭の鉢植えを頂き小野氏は感銘一汐であったと申して居られました。

小野氏の愛郷の念はそれら先生方に“福井の事を宜しくお願いします...”と未だに必ず付け加える事で、自分の人生の相当部分を物心ともに福井地元貢献に投じて居られた思いが滲んでいる様に思います。

且つて日経ビジネス誌の“地方豪族”特集で日本の四家族が取り上げられ、小野家は其のうちの一つでした、同じく取り上げられた岡山の林原家が2年前に倒産(9割配当。債権者の実損軽微)しましたが、最近、林原社長の回顧録がベストセラーの一つになって居り、小野氏の許へも幾つかの出版社が好条件で申し入れている様ですが本人は真実の記述に付き少数とは言え手の裏を返した様な人や、忘恩の人達への心穏やかならざる表現の悩みもある様です。今は膨大な資料整理中で近年出版を考慮して居られるようです。

以上最近の小野氏を知るものとして、又小野氏も小生も当時のインターネットの無責任極まる卑怯な無記名投稿を多くの事情を知らぬ人が信じ込み、その結果として旧小野グループの役職員が肩身の狭い思いをしない様、且つての番頭の一人として筆を取った次第です。

最近の小野氏は当時にも増して頭の回転力は早く、冗談に老化防止の為、日本でも取得可能な米国のCPA(公認会計士〉試験にトライしようかな? などと言って居られました。日本語より英語が上手、とも云はれる小野氏は案外本気なのかも知れません。

経営責任に就いて莫大な私財提供のみが公表されて居ますが、そんな物質的な事より本人は会社役員以外の役職を総て辞職した事の方が経営責任の取り方として、本人としては重大であった、と考えて居られる様です。